中山道を歩く(熊谷→新町)


3回目の中山道です。あまりに寒いので、前回より30分ほど遅い5:45の電車で出発し、熊谷駅には7:07到着しました。熊谷駅前から中山道歩きを開始しました。したがって、熊谷駅までの記事は前回の記事です。

◆08.熊谷 《2011-12-12(月)》
桶川からの距離:16.4km 日本橋からの距離:64.4km
人口:3,263人 総家数:1,075軒 本陣:2軒 脇本陣:1軒 旅籠屋:19軒
 (天保年間(1830~44) 『宿村大概帳』による)

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【熊谷宿 八丁堤ノ景/英泉画】
英泉は、熊谷宿の南東にある立場久下村を舞台に仕立てて、街道を行き交う旅人を役者に仕立ててこの絵を描いています。


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16:04 英泉の絵の場所です。もう16時を回り、もうすぐ陽も沈もうとしています。

熊谷はまだだいぶ先に見えます。急がないと! 《16:40熊谷駅到着》


以下、熊谷駅前から先が今回《2011-12-28(水)》歩いた記事です。

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7:34 熊谷駅前から300m北上し、前回の到着地点の中山道から出発しました。

7:47 八木橋の裏手にある熊谷寺に到着です。由緒ある寺のようですが、早朝のためか中に入れず、見学はできませんでした。


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熊谷寺の前にあるデパート「八木橋」です。本来の中山道は、この八木橋の店内を通っています。開店前のため、本来の中山道は歩けませんでした。


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8:03 秩父道道標です。中山道のこの場所から、左手に行くと秩父方面ということになります。秩父札所めぐりの道しるべとして道標が立てられました。

当初の場所とはわずか違うようですが、公園の一角にありました。


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秩父道道標から40分ほど歩いたところから見た赤城山です。かなり白くなっています。

それにしても寒いです! 今日は一日中文句なしの晴れの予報でしたが、うす雲が出ていて日差しが弱く、ものすごい寒さです。


◆09.深谷 《2011-12-28(水)》
熊谷からの距離:10.8km 日本橋からの距離:75.2km
人口:1,929人 総家数:525軒 本陣:1軒 脇本陣:4軒 旅籠屋:80軒
 (天保年間(1830~44) 『宿村大概帳』による)

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10:03 見返りの松です。宿での思い出に旅人が振り返ったとされています。どんな思い出でしょう。深谷宿は飯盛女が多い宿でしたので、その思い出でしょうか?

H18年に枯れたため植え替えられ、現在は二代目の松です。


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10:09 稲荷町にある深谷宿常夜燈です。ここの常夜燈は明治初期に建立されたものです。


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10:28 深谷本陣跡に到着です。現在は、印刷会社が建っていますが、江戸中期の上段の間が現存しています。ただし、非公開です。


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10:30 古い酒蔵があるなぁと思ってよく見ると「深谷シネマ」の案内がありました。映画館のようです! 素晴らしいシチュエーションです。

後で調べてみると、300年の歴史を持つ「七ツ梅酒造」の跡へ2010年4月移転し、営業しているとのことです。全国でも唯一の酒蔵を改装した、街の映画館だそうです。


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10:40 田所町にある深谷宿常夜燈です。こちらの常夜燈は、稲荷町の物より古く天保11年(1840)創建とのことです。この常夜燈の高さは約4mで、中山道最大級の物だそうです。

この常夜燈の道路を挟んで、呑龍院があります。


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【深谷宿 深谷之驛/英泉画】
深谷宿は古い城下町で、元々農業や養蚕業が盛んな所でした。人でにぎわったこの宿場はまた飯盛女が多かったことでも知られていました。

飯盛女とは旅籠屋に抱えられて客に給仕をするとともに、売春もした女性のことです。


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10:40 常夜燈の前にある呑龍院です。正面に見えるのが呑龍院の鐘楼です。英泉の絵と同じ場所と言われています。


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11:19 源勝院に中にある安倍一族の墓です。安倍家は、岡部の地を領し、この墓は二代信盛から十三代信寶まで、12基の墓が南から北へ世代順に整然と並んでいます。


◆10.本庄 《2011-12-28(水)》
深谷からの距離:10.6km 日本橋からの距離:85.8km
人口:4,554人 総家数:1,212軒 本陣:2軒 脇本陣:2軒 旅籠屋:70軒
 (天保年間(1830~44) 『宿村大概帳』による)

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11:58 島護産泰神社(しまもりさんたいじんじゃ)です。安産の神として知られ、参拝の際に底の抜けた柄杓を奉納することで有名だそうです。

この辺りから、お腹がかなり空いてきました。でも、食事ができそうなお店は全くありません!


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12:15 百庚申に到着しました。案内によると、『百庚申が建立されたのは幕末、万延元年の庚申の年(1860)に計画され、翌年の万延2年にかけて完成を見た。』とあります。

坂の側面に多数の石塔が建っています。


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12:23 中山道で、赤城山が唯一左に見える「左赤城」と呼ばれる所があります。写真はその場所からちょっと行った所から見た赤城山です。

白く雪をかぶった赤城山がきれいです。しかし寒い! しかも腹減った!


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13:13 やっと昼食にありつけました。お腹が空いた上に、寒さで震えています。うどん屋が目に入り飛び込みました。

六助」の肉つけうどんです。ものすごく太い麺のうどんです。お腹いっぱいになり、満足しました。


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14:22 金鑚(かなさな)神社のクスノキです。樹齢350年と推定され、目通り5.1m、根回り9.8m、枝張りは東13.8m~15.6mの巨木です。かなり貫禄があり、県の指定天然記念物です。

冬でも青々としているのですねぇ。


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14:53 浅間山(せんげんやま)古墳に到着です。同名の古墳が群馬にもあります。この古墳は旭・小島古墳群の一つで、直径約38mの小さめな円墳です。出土品もかなり出たようですよ。

この時間になると、日もかなり傾き、気温が下がっていくのが分かります。


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【本庄宿 神流川渡場/英泉画】
中山道は本庄宿の西で、武蔵国の勅使河原村から上野国の新町塾まで神流川(かんながわ)を渡たりました。

背景の山は上毛三山で、左から妙義山、榛名山、赤城山です。


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15:43 英泉の絵と同じ場所です。正面の山は榛名山です。左側に妙義山、右側に赤城山がありますが、超広角レンズでないと同一視野に入りません。

神流川を渡ると群馬県に入ります。埼玉県を延べ2日で通過しました。


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15:59 新町の見透し燈籠です。もうだいぶ暗くなってきました。

この燈籠の右側に、上がガラス窓になっている、塔みたいな建物がありますが、これが「新町検問所」です。警察の検問所ですが、何に使うのでしょうか? 私が子供のころからあったような気がします。


本日は新町駅前まで歩きましたが、次回の記事で紹介します


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16:24 新町駅前で、本日の中山道歩きは終了です。新町駅前には、一杯飲み屋はありません。仕方ないので、ぐっとこらえて、地元まで戻りました。

18:24 駅前の「大」で一人宴会の開始です。寒い日には燗酒が最高です! お疲れ様でしたぁ~!


《本日の結果》
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・今回は、豆はできませんでした
・あまりの寒さで参りました。もっと厚手の手袋が必要のようです


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この記事へのコメント

8^0^)コメト
2011年12月30日 22:36
あ~今年もあと僅かで暮れようとしています。

公私共に激動の一年でしたが、何とかやってきました。
来年も後を引きそうですが、ここのHPを見てがんばれそうです。

今年もお世話になりました。
『街道を行く』を読むようで、楽しめました。
来年はいつから出陣でつか?(^0^;
2011年12月31日 00:27
(^0^)コメトさん

こちらこそいろいろお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。

1月中には中山道を歩きたいと思っています。
でも、寒そうです!
ご学友
2012年01月14日 16:34
新町宿
検問所です、40年程前、学生運動が盛んなころ、高崎~八王子へ向かう途中検問をうけました
和進と言う創作料理店
香雅と言う中華料理店
はおすすめ
いずれも新町駅から徒歩10分程度
残念でしたね
2012年01月15日 12:01
ご学友 殿

検問の件、そういえば聞いたような覚えがあります。
しかし国道17号で、そんなことを検問していたのだろうか?

新町の駅前にも、何とか割烹という店が1件あったのですが、
1人では… やはり、赤ちょうちんでないと。
ご学友
2012年01月16日 14:08
浅間山荘事件の時だと思います
完全封鎖で
年頃の小生は奥まで誘導されました
和進は1人でも入れます
一番奥にカウンター席があり
カウンター席といっても
調理場の一部と言う感じで
1人で飲むには最適
ご学友から聞いたと
マスターか、女の子(はきはきとした活発な子)に言えば
一品サービスが付くかも
高崎市の中では値段と味と言う点で
1番の店です
2012年01月17日 12:31
ご学友 殿

「和進」を調べてみました。
場所は分かりましたので、今度行ってみます。
「が学友」の実家の近くにも同名のお店がありますね。関連店でしょうか。

では